2013年5月12日日曜日

ビデオ・ザ・ワールドの思い出


コアマガジンのAV専門誌『ビデオ・ザ・ワールド』が6月号で休刊となってしまった。東良美季さんのブログ『毎日jogjob日誌』によると「休刊は実は昨年末には決まっていて、本来残り2号出る予定だったのだが、不慮の事態があったとのことで、突然の終焉となった」そうだ。3つある自社ビルのうち2つを貸し出し、会社を縮小しつつ延命を図っていたところに家宅捜索を受け、役付きの編集者が引っ張られるという、警察の会社潰しみたいな攻めにあったことの煽りだったんだろうな。
現在のAV専門誌の状況(フルーツ系AV専門誌がバタバタと休刊していっても生き残っていた、あの『ベストビデオ』まで休刊だもんなあ)を考えれば、よく今まで持ちこたえたと思うけど、休刊するにしても、きっちりと読者に別れを告げずに幕を閉じざるを得なかった編集部の皆さんのことを思うと胸が痛い。

『ビデオ・ザ・ワールド』といえばこんな思い出がある。僕がダイアプレスで『ビデオプレス』の編集長をしていた頃、女優Aの取材を終え、フイルムを日本発色へ現像に出すため編集部にやって来たライターの東ノボルさんとの会話だ。
「Aがワールドのインタビュー記事に凄く怒ってたよ。コレは話すけど記事にはしないでくださいって言った内容が記事になっていたんだって。家族のことだったみたいだね」
「それ、反則なんですかね。それとも語ってしまったAの失敗なんですかね、インタビュアーの聞き出す力が評価されるんですかね」
たしかにワールドのインタビューはきわどい内容まで女優から聞き出していた。もちろん、記事のほとんどは騙し討ちではなく、聞き手とAV女優の丁々発止のやり取りでグイグイ食い込んでいく、スリリングで素晴らしい記事ばかりだったと思います。
それに比べて自分が作っている雑誌の記事は日和っているというか、ひ弱に感じてましたもの。羨望してましたよ、当時の僕は。今思えば、編集者としての雑誌を作る覚悟が違っていたんでしょうね。

でもね、東ノボルさんと決めていたんですよ。女優が嫌がる内容は記事にしないって。それが東ノボルさんの想いであり、せっかく心を許し、腹を割って話してくれた女優さんたちへの僕の感謝の気持ちであり、事務所とトラブルを起こしたくないっていう恐れでもあった。ちなみに、こんなヘタレな僕でも菓子折りを持って事務所に謝りに行ったことが何回かあるんですよ。

まあ、そんな言ってても、どのAV専門誌よりも早く『ビデオプレス』は休刊してしまったんですけどね。あ、ワールドの思い出っていうより、東ノボルさんと僕の思い出話になっちゃいましたね。

東ノボルさんとの思い出はまだまだあるんで、折をみて書きたいと思います。


追記)偶然というか、巡り合わせというか、東ノボルさんの命日が今週の木曜日に近づいていました。亡くなったのが1999年の5月16日、14年も経つんですね。

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