慌てて航空券の手配をし、原稿の締め切りが迫っていた雑誌の編集部に電話して、納品をギリギリまで待ってもらうようにお願いした。
あれから丸3年。父親の呆け具合が進み、末の弟が熱中症で救急搬送され、母親が食事がとれず、立って歩くこともできないくらい衰弱して僕が慌てて帰省したり(のちに軽い脳梗塞だったことが分かった)、妹が重症な貧血で入院したり、末の弟が今度はひどい頭痛で救急搬送された。
兄弟すべて40歳過ぎたんだからこんなものなのかな。無事なのは僕だけってのは、お気楽な性格のおかげなのだろうか。
ひどく暑い夏の空を眺めながら、オマエは東北の震災も知らずに逝ったんだな、なんて、思った。そして、両親や、姉弟、甥っ子、姪っ子たちを見守ってやってくれよと願った。
僕の手元にある兄弟4人で写っている唯一の写真 |