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2013年11月25日月曜日

吾妻ひでお原画展に行ってきた

 吾妻ひでお原画展の最終日、原稿の締切りが迫っていたけど行ってきた。

中学生、高校生、大学生、そして社会に出てからも、あじま先生(こうい風に呼ぶのが僕は馴染むなあ)の漫画がそばにあった。オッサンになり、いつの間にか新作を追わなくなっていたら、先生は失踪したりアル中病棟の人になったりしていて、それを題材にした漫画で再会することになった。
ここ数年はベストセレクション本や復刻本、先生の特集ムックが出版され、手放してしまった漫画を再び読めるようなって有り難い。

で、原画展ですが、良かったです。もうねえ、懐かしいったらありゃしませんよ。展示はほぼ年代順になっていて、2000年代になって女子校生がコギャル化しても、先生のフィルターを通せばちゃあんと可愛くなってしまうのが素晴らしい。筆使いは想像以上に細やかで、特にホワイトの使い方が芸術的(まあ、漫画のテクニックはよく分かっていないのですが、そう感じた)。
そんで、原画を読み返していくほどに、ひねた少年がひねたまま青年になり、スクスクとひねたオッサンになれたのは先生のおかげだなあって思った。僕の血と肉になっていると思った。
混沌とした頭の中をどう表現していいのか分からずモヤモヤしていた少年は、あじま先生の描く不思議な世界に導かれ、自由になっていったのでした。なんかこのままではイケナイのではないかなー、なんて足元がふにゃふにゃしていたけど、ふにゃふにゃながらも、なんとか歩みを進めることができました。ええ。

なんかね、感謝しましたよ。あやうく行きそびれるところだったところをFBのTLで気づかせてくれた知人にもこれまた感謝。



今回の収穫。上がクリアファイル(河に棲む物)。下は左から大判のポストカード(「やけくそ天使」の阿素湖素子)、チケット(絵柄は名作「陽射し」ですね)、日替わりで先着何名かわからないけどプレゼントされてたカード(「ななこSOS」)。本当はTシャツも欲しかったのだけど、既にLサイズ以上は品切れになっていて残念。通販とかで再販してもらえないかなあ。

2013年10月1日火曜日

9月はなんも書かなかったな

10月になった。月にひとつくらいはブログを更新しようと密かに思っていたのだけど、なんも書かずに9月が終わってしまった。
まあ、なんも書いていないってわけでもなく、はてダには日々の作業日誌的なものに加え、読んだ本、観た映画、行ったイベントのこと、そんで雑感みたいなことを書いている。おかげで(?)、このブログまで辿り着いていないのかもな。
たまに文章が頭からブワッとわいてきて、あー、ブログに書きたいって思うことがあるのだけど、外出先だったり、仕事が忙しかったりして、書き逃したことも何回かあったな。

締切りもクライアントも関係ないブログですから、また、思いつきや気づきのタイミングが良かったら、書けると思います。

あ、週イチペースで酒場取材の原稿を書いてるっ
てのも、書きたい欲がわいてこない原因かも。


2013年8月24日土曜日

僕は冗談を読み取れないのだろうか

奥さまの僕へのお叱りの言葉、今年上半期ランキング第3位は「冗談で言ってるのになんで怒ってるの(スネてるの)!?」なんですけどね。コレは言った言わないよりもヤッカイで、「私の言ってること、ちゃんと聞いてないでしょ」「聞き流してるんでしょ」ってな具合にお怒りが展開していくわけです。

でもね、本当に分からないことがたまにあるんですよ。そういうときって、奥さまとの会話を脳内再生しても引っかかってこないんです。どこで話の内容が冗談と化したのか、ピンとこない。まあ、叱られても、奥さまの冗談のセンスがイマイチだからなんだろうな、ぐらいにしか思ってなくて、さほど気にしてなかったんですが、先日、彼女の虫の居所が悪かったのか、凄い勢いで叱られたっていうか罵倒されたときに考えたんですよ。もしかして、聞いている僕に欠陥があるのではないかって。

んで、脳内再生をもっと過去まで巻き戻していくうち、思い出したんですよ。学生の頃、サークルの先輩にも似たようなコトを言われていたんです。「なんだよ、冗談で言ってるのにマジに受け止めるなよ」って、困り顔で先輩に言われているシーンを何回か脳内再生していくうちに、自分に対する疑惑が深まっていきます。

もしかして、僕は話の流れの中で冗談を読み取ることができないのではないか?

どうなんだろ。そんなことあるんだろうか。頭のネジがどこかで緩んでいるんだろうか。でも、今までの経験から分析するに、そういう可能性は無いとは言えない。いやはや、困りましたよ。

当面の問題は奥さまとの会話なんですけど、この前、思い切って言ってみました。「どうやら僕はキミの言っている冗談を読み取れないようだ」って。「はあ?」みたいな、良く分かってくれてもらえてなさそうな反応だったけど、そういうことなんだって言ったら少し気が楽になった。彼女にしてみれば、なんのこっちゃって感じかもだけど、これで罵倒されることが減るといいなあ。

2013年7月12日金曜日

命日

3年前の今日、昼過ぎだったろうか、弟が死んだと、常軌を逸したような状態で母親が電話してきた。
慌てて航空券の手配をし、原稿の締め切りが迫っていた雑誌の編集部に電話して、納品をギリギリまで待ってもらうようにお願いした。

あれから丸3年。父親の呆け具合が進み、末の弟が熱中症で救急搬送され、母親が食事がとれず、立って歩くこともできないくらい衰弱して僕が慌てて帰省したり(のちに軽い脳梗塞だったことが分かった)、妹が重症な貧血で入院したり、末の弟が今度はひどい頭痛で救急搬送された。
兄弟すべて40歳過ぎたんだからこんなものなのかな。無事なのは僕だけってのは、お気楽な性格のおかげなのだろうか。

ひどく暑い夏の空を眺めながら、オマエは東北の震災も知らずに逝ったんだな、なんて、思った。そして、両親や、姉弟、甥っ子、姪っ子たちを見守ってやってくれよと願った。

僕の手元にある兄弟4人で写っている唯一の写真

2013年6月30日日曜日

虫も殺さぬオッサンなのに、失礼よね

写真はイメージです
昨日、僕たちの学年が幹事になる次回の同窓会のイベントについて、酒を飲みながら話し合っていたのだけど、2件目に移動する途中、池袋の街を歩きながら、高校の頃ヤンキーっぽかった同級生(野球部)に「オマエ雰囲気が怖いよ」って言われた。
学生の頃、彼らから見れば地味で目立たなかった、文化系少年(演劇部)の面目躍如ですな。うふふ。

2013年6月9日日曜日

挨拶できないオッサン

繰り返し思い出しては胸が痛くなる小学生の頃の出来事がある。

僕は4歳まで大牟田市K町の長屋に住んでいた。その頃、毎日のように遊んでいたのが友だちのO君。アルバムにはサンダーバード2号の玩具で遊んでいる2人の写真が残っている。
幼稚園に入る前に僕は引越し。しばらく連絡を取ることはなかった。
それが小学3年生の時だったろうか。父親が仕事でK町に行くからと車で僕を連れて行ってくれた。たしか、僕はは夏休み中で、父親はプロパンの配達をやっていたような気がする。
久しぶりに会った僕とO君は会っていなかった日々など関係無いように遊んだ。O君の妹と一緒にかくれん坊とかしてた。
どれくらい遊んでいたのだろうか。父親が迎えにきた。そこで僕はかくれん坊で遊んでいる彼らを放ったらかしにして帰ってしまったのだ。
あとで思った。僕が知らないうちにいなくなってしまい、O君はどうしたろうか。帰ってしまったとも思わず探していたんでないか。なにがあったのか、理解できずに…。
なんで一言「じゃあ帰るね」って挨拶できなかったんだろうか。父親に早く帰るぞと急かされた記憶もないのに。
その後、高校生になり、クラスメートの何人かがO君の中学のときに友だちだっりして、薄らぼんやりと彼の近況を知ったり、ニアミスしたことはあったけど、あの時のことを謝ることはできなかった。

なんでこんなことを書いているかと言うと、いまだにちゃんと挨拶できないときがあるんですよね。別に難しくもないコミュニケーションなのにね。なぜパスしてしまうのか。突然消えてしまうことを良しとしてしまうのか。
反省と今後の僕の成長のために書き残しておきます。

2013年5月22日水曜日

BARの終わりと始まり

最後のバーテンを務めるK君
昨晩のこと。池袋で落語を愉しんだあと、立ち飲み屋でホッピーを飲みつつiPhoneでFBを覗いていたら、下北沢の「月灯」というBARが今夜で閉まってしまうというポストが目についた。それもカウンターに入るのはオーナーのK君だという。

K君と僕の付き合いは長く、下北沢のPというロックBARで出会ったのは20代半ばだったろうか。それから彼の結婚式に出たり、娘さんが生まれたという知らせが入った時にPで並んで飲んでいたり、なにかと縁が続き、彼が経営していたBARのバーテンとして9年間アルバイト(日替わりでバーテンが変わるBARで僕は木曜日担当だった)させて貰うことになった。

「月灯」はそのBARの裏手、スズナリ通り脇に手作り感満載の雰囲気でオープンした。そりゃあ、K君たちが自分で素材を運んでリフォームしたんだから、手作り感満載なのは当たり前か…。
イタリアン系のBARだったり、女性バーテンの店だったり、カフェみたいになったり、形態は変わっていたけど、19年続いたんだそうな。儲かっていたかはともかく、よく続いたよなあ、と思う。良くも悪くもK君の人柄なんだろうな。

お店は30代の多彩な才能あふれる男性たちに譲ることになったらしい。「月灯」という名前が気に入ったので、そのまま使うのだそうだ。下北沢は客単価が低く、若い客の足がBARから遠のき、水商売には難しい町になってしまった。それでも彼たちの魅力で人々が集まるんじゃないかとK君や他の常連さんが言っていた。どんな店になるのかな、しばらくしたら覗いてみよう。


月灯
世田谷区北沢1-45 原田工務店ビル1階

2013年5月1日水曜日

やめたい癖というか習性

ラーメン食べて納得いかないからって、別にもう1軒行くのはやめたい。
こういうことは蕎麦屋、回転寿司屋でもある。牛丼屋ではない。もしかしたらカレー屋はあったかも。
ラーメンマニアじゃないんだから連食してもタメになることはない。腹が膨れても虚しいだけ。だいたい仕事が忙しくてストレスが溜まってる時にやりがちなんだけど、これは僕の心が病んでいるということなんだろうか。



2013年4月24日水曜日

今回の帰省で僕にできたことをメモ


先週末、母親が体調を崩したので福岡県は大牟田へ二泊三日で様子を見に行った。
右手の指が痺れて力が入らない、左目の瞼が垂れて物が多重に見えてしまうなど、生活するのに障害が出ているため、家事を中心にいろいろしてきた。
思うことはアレコレあるけど、とりあえず僕にできたことをメモしておこう。

1.食事の世話
冷凍、冷蔵保存できそうな惣菜を作ってレンジを使える小ぶりのタッパーに小分け。
食材の買い出し、硬い食材や扱いづらい食材は小さく切って冷凍保存。
無印良品で母親が好きそうなレトルト食品を買ってくる。

2.身の回りの世話
部屋の掃除。
洗濯。
仏壇の掃除、花換え。神棚の水換え。
洗濯機まわりの洗剤類の収納を100円ショップで買ってきてセッティング。
風呂まわりの収納のセッティング、シャワーフックを取り付けてシャワーを浴びやすくする。
ベランダの下の菜園の草むしり。
弟や祖父、祖母、叔母が眠る納骨堂にお茶と賽銭をあげに行く。
通販で代わりに注文してあげられるように母親のクレジットカードの番号を控える。

3.緊急事態
ボケ気味の父親が大便を漏らしたので(2回目らしい)、床にこぼした糞の始末。糞が付いた靴や服、シートは母親が嫌がるので捨てる。あとで聞いたらズボンはもったいないので洗ったそうな。
父親に外出するときはオムツを付けるよう説得するが、はたして実行してくれるかどうか…。


まだ、両親の老いと立ち向かい始めたばかりなので、こんな感じ。次回は父親の扱いについて弟も含めて考えなきゃいかんだろうな。

意識の酔いと身体の酔いについて


昨日の神宮球場でのお話。




野球観戦しながらビール2杯、カップ酒2杯飲んだ。
自分としてはそれほど酔う酒量ではない、と思っていた。
しかし、試合途中で魯肉飯が半分残った丼をポロリと落とすわ、
帰ろうと階段の登ったら途中でふらついて倒れそうになったり。
これって酔ってるよね!
でも、頭は理解していない。
あまり経験したことないんで密かに動揺しつつ下北沢へ向かい。
立ち飲み屋でホッピー2杯、バーで焼酎水割り4杯くらい飲んだ。
終電で帰るまで友人たちとなんの問題もなく喋っていた(はず)なんで、
へろへろに酔っていたとは思えないのだけど…。
いったい、球場での体たらくぶりはなんだったんだろう。

んで、考えた。
これは意識と身体がリンクできないっていう老化現象なのだろうか。
危険ですわよ、よろしくないですわよ(涙)。
最近、左手が痺れてたから、それで力が入らなかったのかなー、とかも思ったが、
それって脳梗塞の前兆じゃないの!?
なーんて不安が募る48歳の最終コーナーに入ったオッサンです、はい。